落ち込んだり気分が沈んだ時に一番ヤバい感情は「面倒くさい」だと思う。これにハマるとしんどい。食事する、ゆっくり風呂に入る、外出する、部屋を掃除する。そういうハードルが高くなる。狂気の作家、平山夢明氏は「面倒くさいは狂うスイッチ」と言っていた。敵は暗い気分じゃない。面倒くささだ。
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作家鈴木光司さん曰く表現する事は勇気を持つ事。花は美しいというと「美しくない花もある」という人が出てくる。そのクレームを想定し「美しい花もあるが美しくない花もある」と書く。それはもはや言う必要のない文となる。全ての人が納得する文では表現にならない。勇気が必要なんだ。力をもらった。
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| — | Twitter / 牧野克彦 (SBSアナウンサー) (via otsune) (via noboko) (via fukumatsu) (via yokokick) (via mnak) (via nemoi) (via dannnao) (via mekarauroko) (via wayayaya) |
頑張ってすり合わせて作った製品に消費者がおカネを払ってくれればいい。確かにポルシェには2000万円払ってくれる。だが、一生懸命作ったヴィッツに1000万円は払ってはくれない。これはもうしょうがない。最終的にはエンドユーザー、消費者がバリューを決めている。顧客と関係ないところで自己満足的にすり合わせにこだわっても、ある種、マスターベーションになってしまう。
国内の最先端のマザー工場はすり合わせにこだわってもいい。暗黙知をどんどん追いかければいい。非常に高度な匠の技を極められるのは、日本の会社の強みであり、日本の特権でもある。そういうことができる国は、日本とヨーロッパの一部しかない。
新興国では労働慣行や働きの価値観の問題があるからやりたくてもすり合わせは難しい。従業員が一つの会社に長くいてくれない。少し技能を見つけたらすぐに他社に移ってしまうから。
いつまでも暗黙知でとどめない
ただし、暗黙知で技術をどんどん高度化したら、ある段階で出来上がっているものに関してはいったん時間を止めて、形式知化して横に広げるべきだ。横に展開するというのは、ほかの商品に展開する、量産品に展開する、世界中の工場に展開するという意味。ずっと暗黙知で匠型の究極を追及している限り標準化はできないので、いったん時間を止めて標準化に進む。そうした標準化に力を入れていないのが日本企業の間違い。
経営者がすり合わせ信仰からの脱却をしようとしても、社内的に抵抗に合う。今までずっと暗黙知でやってきた人からすると、標準化努力をして横軸に展開していくのは、一流ではないみたいになってしまう。ナイスじゃない。道を究めてオリンピック目指すことがナイスで、スポーツの普及運動なんかは金メダルレースに落ちた人間がやるんだみたいな。でも、今、お金になるのは普及運動だ。






